apron2019’s diary 

誰もが来やすいカフェを作ることにしました。一般社団法人エプロンのブログ

ケアマネさんの探し方

近所の方から電話がありました。

「お母さんのケアマネさん

どうやって探した?」と

 

わたしは、

近所のママ友がケアマネだったので、

最初から迷わず彼女に頼みました。

で、何年もやってもらっていましたが、

今年、母が骨折してグループホーム

入ったときにグループホームのケアマネ

さんに代わり、

グループホームを出て

サ高住に入ってからは

サ高住のケアマネさんにお願いしています。

 

近所の方は、ご主人が脳卒中になり、

リハビリ病院に入院されていましたが、

来月退院予定なので、

退院後のリハビリやら、介護サービスを

受けるために

ケアマネさんが必要になりました。

 

ケアマネさんは自分で探す仕組み

なのですが、

わたしはいつもそれは不親切だと

感じています。

だって、全然わからないからです。

何を基準に選ぶのか、

ケアマネさんて

そもそも何をする人なのか、

わからないことだらけで介護って始まる

のがほとんどのような気がするからです。

 

市内のケアマネ紹介サイトとか作ったら

いいのかな

膨大なリストの横に、

一言メッセージとか

OKな人は顔写真あるとか、

なんかないとその重大な役割の人は決めにくい。

他の人に替えることもできる

と言われても、

実際にはそうそう変えにくい。

 

ケアマネさん、どうやって決めたのか。

ここも大事なポイントなので、

調査してみようかな〜

 

筆:まつえ

 

頑張ってはいません

こんにちは、松江です。

時々自分の体メンテナンスで、

船橋整形に通っています。

リハビリです。

今日はだいぶ待ちそうな予感なので

ポストにあった母の施設からの郵便を開封

請求明細やらと、

ケアマネさんからの居宅サービス計画書

が入っていました。

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母のコメント、笑えませんか?

そんなに頑張ってはいないし、

目標立てるのも嫌

😅

本音なんでしょうね。

人に指図されるのがとにかく嫌いな人なので、

一人で立ち上がるためのリハビリデイは、さぞ苦痛と思われます。

が、

実はこの、コメントも

聞き方、聞き出し方によっては

前向きなものを引き出せることがあります。(母の場合)

「歩けるようになって淡路に行きたいねー」

「そうやねー」

「歩けるようになったら家に帰れるよ〜リハビリ頑張って帰ろうねー」

「そうやねー」と、なるのです。

他にも

「ずーっと病気で入院してる人もいるからね、お母さんは、こんな綺麗なところで、おいしいごはん食べられて幸せよ」

「ほんまやなー」

みたいな他より恵まれている

上を見たらきりがない

的なパターンも、母には有効です。

 

もちろん、毎日顔を合わせていたら

こんな優しいことは言えません。

「ちゃんとリハビリやってるの?」

「ちゃんとやらないとずーっと歩けないよ」

みたいな物言いになってしまいます。

なので、歩けるようになって、

家に帰らせたいなあと思うけど、

帰ってきたらまた大変なんだろうなー

とも思います。

 

⭐️今週末は、オレンジカフェ

認知症とわかったときのこと

それからのこと

をテーマに色々おしゃべりできたらと思っています。

モヤモヤしている方、

なんかおしゃべりしたい方、

認知症のことが知りたい方、

どなたでも

遠慮なくお越しくださいね。

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診療情報提供書ってなに?

こんにちは、昨夜の地震で、

停電をなめていたことを

大いに反省した松江です…

日頃の備え、大切ですね。

さて、

骨折によって

急に自宅での生活が

難しくなった母のために

施設入所を検討しますが、

ここで必要となるのが

「診療情報提供書」でした。

施設に入るときには、

かかりつけ医からの

診療情報提供書を出して下さい

と言われます。

それってなーに?

と、なったわけですが、

どうやら施設入所の場合、

多くは(?)

その施設ごとに

訪問診療のお医者さんがいるようで、

かかりつけ医からそのお医者さんへの

引き継ぎ書

が、診療情報提供書のようです。

馴染みのないものなので、

ここに書いておきますね

 

あぁ、いい人生だった…と終えるための「今」。

介護相談・講座担当の

松原です。

 

ここのところ

ちょっと暗めの記事ばかりで

申し訳なく思っています。

 

今起こっていることに対する

この気持ちは

今しか書けないような気がするので

正直にかかせていただいています。

 

今日もちょっと重めなので

そういう気分じゃないなと思う方は

ここでスキップしていただけたら

ありがたいです。

 

********************

 

生涯を終える日は

遅かれ早かれ

誰にでもやってきます。

 

いつかくるであろう、その日に

あぁ、楽しかったと

終えていけたらいいなぁ。

そうするには

どうしたらいいのでしょう。

 

もう、昨日の後悔も明日の不安も関係なく

「今」をたのしむことが

1番いい方法なのではないか…。

そしたら、いつ終わりがきたとしても

楽しいまま、旅立つことができるのだから。

 

とはいえ、

毎日楽しいことばかりではありません。

悲しいことが起こったら…?

 

母の看取りについて

向き合っている間に…

それを追い越すように

愛犬そらの看取りと向き合うことになり

今週末から家族で看取ろうと決めた日に

そらは旅立ってしまいました。

 

今回、私のスケジュールを知っていたかのような状態変化で…

正直、油断すると自分を責めてしまいそうになります。

 

旅立つ朝に会って

ありがとうと伝えた時

肩で息をするくらい苦しそうなのに

しっぽを何度も振ってくれたこと。

元気になって欲しいけれど

頑張らなくてもいいんだよと

声をかけた後の優しい目

その時のそらの姿が頭から離れません。

気を抜くと涙が溢れて止まらない。

 

家に帰ってきたそらは

とても穏やかな顔をして

まるで寝ているようです。

今にも起きてきて、泣いている私の

ほっぺたを舐めてくれそうで

今はこの寂しさを悲しみを

どう扱えばいいのかわかりません。

 

体調を崩してから

精一杯、できる限りのことをしたのだから

そらも力の限り

生きようとしてくれたのだから

今の私にできることは

穏やかに送りだすだけ…なのだと思います。

 

そらを家族に迎えてから

母の介護に戸惑って

ちょっとバラバラになりかけていた家族が

また、彼を中心として集まるように

なりました。

 

私や家族の

変化の多い9年間を

いつも横で寄り添いながら

じっとみつめてきたそら。

そらのおかげで

それぞれが癒され

勇気づけられ

生きることを教えられ

 

私たち家族の人生は

とても豊かなものになりました。

 

こんなに悲しい今も

家族と楽しかった毎日のそらとの

想い出話しをたくさんしながら

じっくりと味わうことで

いい一日になるのでしょう。

 

もう目を覚さない

そらを撫でながら

あぁ、たのしむだけが

いい「今」なんじゃないんだなぁ。

今を精一杯味わうことで

大切なことを手に入れていくんだなぁと

感じています。

 

今週初めから

エプロンのお客様

スタッフのみなさんには

お休みをいただき

ご心配、ご迷惑をおかけし

申し訳ありません。

 

おかげさまでそらと家族と

大事な時間を過ごすことができました。

ありがとうございます。

 

この時間を糧に

また、皆さまと大切な今を

過ごしていけたら嬉しいです。

栄養を入れずに2週間、これから起こること。

介護担当 松原です。 看取り介護のこと 今後書くことができるのか…と感じるので 現状を書いています。

母の呼吸の状態が

あまりよくなくなり

酸素吸入を始めてから

2週間が経ちました。

 

口からの食事は

入らなくなり

水分補給のための点滴を

しています。

 

この週末行ったときには

呼吸が少し楽になっている様子では

ありましたが

目の光の力が弱くなっている気がしました。

 

口から食べられないのは

食べる必要がなくなったからで

身体が必要としていないのです。

 

そして、ここからは…

水分補給も必要なくなっていきます。

内臓機能も弱くなっているので

うまく排泄できず

浮腫がでてくる。

 

そうすると

余った水分が皮膚からでてきたり

肺やお腹にたまったりして

呼吸が苦しくなる。

 

どこかで

水分補給の点滴をやめる決断を

しなくてはなりません。

 

どこまでも

命の選択を迫られる気分で

しんどいのだけれど…

もう、決めたのだから

母を穏やかに見送ると

決めたのだから…

 

そろそろ、施設の方と

相談するタイミングなのかと思っています。

 

点滴を外すと

日数が見えてきます。

 

本当の意味で

大人になる日が近くなってきたのです。

私はどこまでも

子どもだったんだなぁと

感じているこの数日。

 

私はずっと

母に無条件で愛されたくて

褒められたくて

認められたかった

子どもの私が

それをもっともっとと

求めていただけだったんだなぁ。

 

 

自分で

自分を愛し

褒めてやり

認めていく。

そして1人でしっかりと歩いていく。

 

介護をしなければ

介護で悩まなければ

いつまでも

子どものままで

不幸を自慢して

駄々をこねていたのかもしれないと

思うと…

 

感謝の気持ちが湧いて来ました。

 

介護が必要になることで

育てなおされたのかもしれないな

と…。

 

母の体を撫でながら

明るい窓の外を眺め

ありがとう

次の週末また来るねと

伝えてきました。

 

姉妹の絆 

松原です。先週末に

母の妹、私の叔母が

西から日帰りで

母に会いに来てくれました。

 

叔母が

お姉ちゃん、来たよ。

と声をかけると

目をしっかり見開きあーあーと声を上げ

まるで、何か話しているかのよう。

2人の叔母の顔を交互に見るように

目を動かして声を上げている姿をみて

きょうだい(姉妹)の絆を強く感じました。

 

こんなことなら

もっと早く、みんなに会いに行けば

よかった…。

仕事や家族の事情、コロナもあり

無理だったこともあるのだけれど

ついつい後悔。

でもね

後悔は、意味がないな。

今回はそう感じています。

 

今だから会えた。

会う時が来ただけ。

会えてよかった。

 

それだけでいい…と思います。

 

きっと見送ったあとも

後悔することが

たくさんあるのだろうけど

大切なのはいつも「今」

 

もう少し書きたいことはありますが

「今」やりたいことをするために

必要なことをやってきます。

母の日に…

母の日に。

 

松原です。

 

今の状況がどうであれ

母が幸せだったかどうかは

母が決めることで、

側で見ている私には

わからないことなのだと思うのだが…

このゴールデンウィークには少しモヤモヤしていた。

 

義母は

ゴールデンウィーク

ひ孫に会って笑顔が溢れる毎日を過ごしていた。

ひ孫に会いたいと言われ、大好きと言われ

孫にも囲まれ賑やかだった。

 

かたや…

母がひ孫に会えるのは

ひ孫が中学生になってから。

その上、呼吸が不安定になり

血中酸素濃度が落ち、酸素吸入をしていた。

そして、これからの命についての決断を

娘に託すことになった。

 

その差に

ちょっぴり、感傷的になった。

 

でも、比較するのは

違うんだよなぁ。

最初にも書いたが、

母が今どう感じているかは

わたしにはわからないのだから。

 

1ヶ月まえくらいから

身体全体に水疱ができ、なかなか改善しなかった。

発熱もあり、体調を落としていた。

ここにきて、呼吸状態が不安定なり、

食事も摂れず、水分も摂れない状態になった。

 

施設から連絡が入り

救急搬送するのか

このまま、施設で過ごすかの決断をすることになった。

久しぶりに会った母は

少し苦しそうではあったが、穏やかな顔をしていた。

 

声をかけると

大きく目を開き

反応はしっかりしている。

もう、何年ものお付き合いですからねと

笑顔の介護士の方が声をかけると

さらに反応はいい。

 

病院に行っても

よくはならないだろう。

それならば

穏やかにこのまま過ごした方が

母にとっては快適なのではないかと

このまま介護施設で過ごすことを決断した。

 

ここからは

看取り介護へと移行していく。

 

「看取り」とは人が自然に亡くなっていくまでを見守る過程のことで、死期が近づくことにより生じる様々な苦痛を緩和し、最期の日まで寄り添うケアを看取り介護と言う。

 

実は…在宅で看取ろうかな。

と思い、準備をしてきた。

でも、どこかでまだ先だと思っていたので

間に合わなかった。

息の乱れた母を目にして

簡単なことでないことを思い知り

1人ではできないことなのだと感じた。

 

自分の想いや気持ちではなく

母が快適に生きることを優先するなら

今はきっと…在宅ではない。

 

最後になるかどうかはわからないけど

今回は特別に孫である娘と息子は

会うことができた。

 

ひ孫に会えるのは

中学生って

今小学一年生だから…

まにあわないじゃん。

 

ひ孫が生まれた日に

かわいいねぇ、赤ちゃんだねぇ。

と笑顔を見せていた母。

ひ孫だということは理解していたかは謎だけど

きっと新しい命に触れてあたたかい気持ちに

なったんだよね。

だから…いいのかな。

 

ふーっと時々息を止める母に

声をかけていると

母に対しての今までの

いろいろな想いは

いつのまにか消えていき

ありがとうと素直に声を

かけることができた。