親なきあと相談室の藤井さんの投稿を読んで
先日の思いを書く気になった。
母に訪問リハビリを受けてもらうために
先日、施設を医師が訪れた。
医師の到着が早かったのか、母は食堂におり、
すでにかなり機嫌が悪くなっていた。
自分は病気なのか?どこも悪くない。と睨みつけている。
なんでわたしが来るまで待ってくれなかったのかと暗澹たる気持ちになった。
医師であろうと、知らない人がいきなりやってきて
自分になにか言うことが母をどんな気持ちにさせるのか。
今の施設に入って約一年。
母の不機嫌スイッチがどの辺にあって、
それが入ったら手がつけられないこと
気分を変えるのに相当な時間がかかること
施設の人は知っているだろうし、ケアマネも知っているはず。
なのになぜ見知らぬ医師との面談を開始したのか。
しかも医師は母に対しても、
なぜ待ってくれなかったのかと言ったわたしに対しても
あらかさまに嫌な顔をした。
認知症とひとくくりにしてはいけない。
老人とひとくくりにしてはいけない。
みなそれぞれ違う人格をもっている。
その人にはどう向き合えばいいのか。
ひとりひとりと真剣に向き合って考えることをしないと、
本人も家族も不機嫌になる。
医師本人が不機嫌になったことに対しては
わたしは驚きすら感じたし、
こんな人に診てほしくない。と思った。
いや、医師かどうかは関係ない。
対人能力の問題か。
どんなに高齢であろうとも、
どんなに扱いにくい利用者(わたしはこの呼び方が大嫌いだ)
であろうとも、どう向き合うかをちゃんと考えないといけない。
考えられない人はその職業に適性が無いと思ったほうがいい。
どんな仕事でも「仕事だから」と、とりあえずやっていると
ろくな結果にならないからだ。
病名一つでみなが同じであるはずがない。
そもそも認知症の前に
母という人間がいる。
自分よりずっと先を生きた一人の女性が
高齢でなにかを成し遂げている人は
すごい人だと敬われるが、
いろんなことができなくて
人の手を借りて生きなければならなくなった老人は
利用者と呼ばれて面倒がられる。
気温がぐっとあがった暑い日にも
母は分厚いセーターを着せられていた。
もう驚きもせず、またかと思うだけだが、
どんな神経をしているのか。
母はもう人間には見えないのか。
と、訊いてみたくなる。

