apron2019’s diary 

誰もが来やすいカフェを作ることにしました。一般社団法人エプロンのブログ

一年前の夜はパイプ椅子で寝た。母の施設での日々は不幸せだったのか?

こんばんは

松原です。

 

一年前のこの夜…母の施設のパイプ椅子で

一晩すごしたこと、昨日のように思い出す。

我ながら器用に寝たもんだと感心する。

そのころ、読んでいた本が

田坂広志さんの

「すべては導かれている」で…

命の灯をみつめながら

死について考えたり

不思議な流れについてなど

いろいろなことを考えていた。

5月24日には愛犬が急逝したところだったから

ちょっとハードな日々だったっけな。

 

昨日久しぶりに

母が施設ですごしていたこと。

施設で亡くなったこと。

看取れたことについて想う出来事があった。

 

施設での生活は不幸だったのか?

看取れたことは幸せだったのか?

 

それはどうなのかはわからないけれど

少なくともわたしたち親子にとっては

必要なことで

何ひとつ間違いなんかない。

 

でも、他の人にとっては

どうなのかはわからない。

家で看取れた人。

看取れなかった人。

どの別れも、それぞれの人に用意されたもので

正解か不正解か?

幸せか不幸せか?という尺度で語れることじゃ

ないのではないか?

 

まぁ、

過去になったこの出来事は変えられないので

後悔してもね。

一年経ってそう考えられたと思っていたけれど、

今回のことで

ふと…どこかに残っていた罪悪感が

顔を出した。

 

母はどう思っていたのだろう。

どうして欲しかったのだろう。

もう、話しができないのだから

そんなこと考えたって仕方ない。

もちろん…

もし、聞いていたとしても

その想いを叶えられないかもしれない。

 

たとえそうだとしても…

もっと、母の人生の先の話しをしておけば…

もう少しこの罪悪感は小さかったかも。

ここまで悩まなくて済んだかもなぁと。

 

できたらね

家族で話し合っておいてほしい。

話せる関係にしておいてほしい。

 

わたし自身が何年か前に

コロナに罹患してホテルで隔離された時に

死は誰の隣にもあると感じたから

気持ちは伝えておきたいと思っている。

気持ちを伝えるからには

その準備もしておきたい。

 

わたしの子どもたちには

介護は家族がやるべき。

家で過ごすことが幸せ。

この思い込みを一度捨ててから

介護に向かってもらいたい。

 

そして、子どもたちのその時の生活をできるだけ

変えない形で

わたしの望みを少しだけ叶えてもらえればいい。

 

もちろん介護をしなくていいように

元気に過ごしていこうと思う。

 

母の命日をまえに

いいきっかけをもらったな。

母の采配だったりして😅